山の風景の魅力を知ったのは、旅行で訪れた白馬山麓だ。私は観光客として、ゴンドラに乗って八方尾根に立った。 山歩きに夢中になるずっと前から、印刷を通して大量に大衆に提供される、ポスターや切手や絵葉書。そして、浮世絵などに描かれた、風景や山の絵に魅力を感じていた。それらの印刷物を通して、私はいまだ見ぬ山の世界と空想冒険映画の世界をだぶらせながら、イマジネーションの世界で遊んでいた。そして、いつしか自分も印刷を通して、自分の作品を発表する仕事をしたいと思っていた。グラフィックデザインの道に進んだきっかけだ。 デザインと言う仕事は現実と向かい合いながら、未来の夢や希望を提案していく仕事だと思う。しかし、人は厳しすぎる現実と向かい合った時、頑張って、それらに立ち向かうよりも、時にはゆっくり休息したり、現実から逃避する方が、心を健康に保つことが出来る。旅には本来そんな働きがあると思う。そして、日常性とから解き離された山の世界には、さらにそんな力があふれている。精神的にも疲れていた時期も、山は私を優しく包み込んでくれた。そんな静なるエネルギーが私の物づくりの根底にある。 近年、パーソナルコンピューターとグラフィックソフト、プリンターの進歩は個人でも、私の憧れだった高性能な印刷が簡単に楽しめる様になり嬉しい限りである。大好きな山の風景画をコンピュータソフトで描く事に夢中になっていったのは自然の流れだと思う。そして、プリントは私にとって最も魅力的な表現の手段である。 今回の作品は、私を導いてくれた、ポスターや切手や絵はがきといった印刷物と山の風景たちに捧げたい。 Shuichi Hashimoto 人は撮影した写真を見ることで記憶がよみがえります。私は撮影した写真を見ながらコンピューターで、その風景を描きます。しかし、描きたいのは、風景そのものではなく、呼び起こされた記憶です。それらは、光と空気の中で遊ぶ色彩であったり、風景に出逢って呼び覚まされた自身の中に眠る世界かもしれません。私は写真を見ながら、写真に映っらない物を描こうとします。ベジェ曲線で風景を一度パーツや色彩に分解し、再び組み合わせることで、再構築していきます。それぞれのパーツは、必ずしも具象的な形にはならず、単純化されたり、文様の様になったり、時には、飛び跳ねる単なる色彩の塊として表現されます。 再構築された風景をコンピューター上で分版して原盤を作ります。それは、版画の様に刷り色ではなく、遠近の位置関係の5〜10枚のレイヤーに分けます。ベジェ曲線で描かれた原板としての絵にはサイズは存在せず理論上、無限に大きくする事が出来ます。これらの原板から最終的なサイズを決定して、各レイヤー事に画像処理ソフトに出力します。さらに画像処理ソフト上で、空気や光を表現する為のレイヤーを間に幾つか挿入し、様々な気象現象の表現を試みます。すなわち、1枚の原盤で全く違った幾つかの気象条件の絵が出力可能になります。これは、私の記憶を絵の中に定着させる為の重要な過程です。それらの中から、私の記憶に一番近い状態のデータを保存し、最後にレイヤーを一つに合成する事により、一枚の完成したプリント作品が生まれます。 |
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